このうえなく面倒くさくて愛おしい、“カイシャ”という奇跡

「僕はこの会社のことが好きで、みなさんのことが大好きで――」

その日は、退職する役員の最後の出社日だった。上京して、はじめて勤めた会社。全社員の前で行われた、あいさつのワンシーン。いまの私が取材の席で聞いたら、まちがいなくグッとこみあげてしまうような、感動的な言葉だったと思う。

でも残念なことに、そのときの私はたかだか23歳だった。理解するには、まったくもって未熟すぎた。

なんでそんなことを未だに覚えているのか、自分でもよくわからない。でもそのとき、「会社のことが好き」というひとことに、私はなんともいえないザラついた気持ちでいっぱいになってしまったのだ。

「カイシャが好き」って、どういうこと? その感覚が、ちっともわからなかったから。

 

「カイシャが、ちゃんとしてくれない」

日本人の大半は、カイシャがキライだ。「カイシャ」に対する嫌悪感がうずまくときなんて、ちょっとビックリするくらいの風当たりの強さを感じる。SNSを眺めていると、「そんなことでも叩かれるの……?」と、本当に些細なことでバッシングを浴びている企業も数知れず。

とにかくみんな「カイシャ」が嫌いなのだ。カイシャなんて行きたくない。カイシャがちゃんとしてくれない。カイシャがあれやってくれない、これもやってくれない。カイシャなんて……。

10年前のわたしも、決して例外ではなかったわけだけど、そもそも、”カイシャ”というよくわからない集団に対するイメージはいつの間に固まるのだろう。

 

我が家は父親が地方公務員、母親が元教師だったので、それこそ高校を卒業するまで、カイシャというものの実態に触れる機会はほとんどなかった。働くイメージを具体的に与えてくれていたのは、映画やドラマ、小説の中の登場人物だけ。

大学に入り、就職活動をする時期になって、はじめてカイシャと向き合わなければならなくなった。世間知らずだった私の中では、そのときすでに「働かなければいけない場所=カイシャ」という漠然としたイメージ――しかも幾分かマイナスの認識が固まっていたように思う。

働くことは、義務だと思っていた。義務であり、お金を稼ぐ手段。どこかのカイシャに就職して、毎日カイシャのデスクで仕事をすることが。給料の額に不満を感じつつ、ヒマがあれば居酒屋で同僚にグチをこぼし、「うちのカイシャはなんでこうなんだ」と嘆いてみせる。それが自分にとっても、いつしか自然な光景になっていった。

 

ひとりになったからこそ、わかってきたこと

「そういえば、そもそも“会社”ってなんなんだ……」と、ようやく思いはじめたときには、もう社会に出て10年近くの月日が過ぎていた。なりゆきでフリーライターになり、いろんな企業の広報ツールを作る日々。わたしはどうもフリーランスで働くのが性にあっていたようで、”会社”から解放されたことを心の底から喜び、自由を満喫していた。

その5年間で、いったい何人の経営者、何人の会社員の人たちにインタビューをしてきただろう。

いろんな人に話を聞いているうちに、いつしか不思議な感情が芽生えるようになった。「カイシャなんて……」と、ナナメに構えてグチを吐き出していた、その先にあったものは一体なんだったか。

 

熱い思いひとつで会社をつくり、サービスを開発して、世の中を変えようとしている社長がいた。会社の期待を背負い、懸命に成長しようとする若手社員がいた。地道に実績を積み重ね、部下からも厚い信頼を得ているベテランのマネージャーがいた。

もちろん、仕事はあくまで仕事、と割り切っている人もなかにはいた。でもきっちり自分の仕事をこなしていて、それはそれで清々しさを感じた。「これは記事にはできないけど……」と、組織の泥臭い内情を明かしてくれた人もいた。そりゃあ、人がこれだけ集まればキレイごとだけでは済まないはずだ。逆に親近感がわいたこともあった。

 

当たり前の話だけれど、会社のなかには必ず「人」がいた。人が会社を成り立たせているのを、わたしは取材者という立場で見てきた。

一人ひとり役割は全然ちがうし、思いも、悩みも、抱えているものもまるで異なる。でもそんな人たちが何十人、何百人、何千人……と集まって、「会社」という有機体が、生きていた。生きて、日々何かを生み出して、社会を動かしていた。ときどきは立ち止まったり、後退したり、あれこれ問題をはきだしたりしながら。

 

限りなく面倒くさい。でもたぶん、それは奇跡

なんて面倒くさいんだろう、と、いつも思う。わざわざ他人同士がひとかたまりになって、同じ方向を目指して一生懸命走り続けようとする。意見のすれ違いだってある。もめごとやトラブルだって日常茶飯事だろう。それでも、走る。みんなで走る。その先にあるものを、たぶん、信じて。

それでも、「この会社が好きだ」と笑顔で話してくれた人も、たくさんいた。

 

何万人も社員を抱える名だたる大手企業だって、はじまりはたったひとりの情熱だったりする。そこから仲間が増え、いつの間にかたくさんの商品やサービスを生み出し、何十年も存続して社会に貢献する組織になっていく。それがつまりは「会社」というものなのだ。

その事実をようやく理解したとき、わたしは“カイシャ”というものに対して、どこか愛おしいような、なんともいえない気持ちをもつようになった。奇跡。うん、そうだ。もはやこれって、奇跡みたいなものじゃないか、と。

 

これから先、わたしが会社員に戻る可能性は限りなく低いだろう。それでも。偶然にして幸いなことに、わたしは奇跡みたいな”会社”の存在を、広く知らせる仕事につくことができている。だから教えてほしい。もっと聞かせてほしい、と思う。みなさんの会社のことを。

 

あのとき「会社が大好きで——」というスピーチをした役員に、いまさらながら、聞いてみたい。「この会社のどんなところが好きなんですか?」   そしてそれを受け止めきれなかった23歳の自分にも、そっと教えてあげたい。「10年くらいしたら、きっとわかるようになるよ」と。

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photo from Snapmart / noa