わたしと仕事

いつだったか、「うーん、私は今まで、そんなに仕事を“楽しい!”って思ったことないんだよねー」とぼやいたら、長い付き合いの友人に、なんともいえない顔で微苦笑されました。

まあ、それもそのはず。気づけば22で東京に出てきてからもう10年近く、私はもののみごとに仕事ばかりしてきてるから……。

でも

「仕事好きだね〜」

と、人からいわれるたびに感じてきた違和感。

「仕事、楽しい?」

それもなんだか、微妙に違和感。

「仕事」ってそもそも何なんだ。

楽しいからやるものだったっけ?
好きな方がいいんだっけ?

口にすればするほど、もやもやがつのる。そういえば、私ってなぜこんなに仕事ばっかりしてるんだろう。そもそも、こんなに仕事ばっかりしてどうするつもりなのかしら。

思い起こしてみれば、当初の「仕事」に対するモチベーションと呼べるようなものは、やりがいでも楽しさでも何でもなく、ただの危機感と焦燥感でした。

自分にできることはこれかな、と漠然と思い描いた世界は想像以上に実務至上主義で、とにかく業界のすみっこにかじりつき、目の前にある「仕事」を、どんなに小さなことでも吸収しなければならないと必死に追いかけていました。そのまま時間がたってしまうことに、焦る気持ちばかりが先行していて。その時点の自分では何ひとつ通用しない、という悔しさもあったかな。

数年経験を積み、アルバイトからなんとか抜け出し転職して「自分のペース」がつかめてきたころ。

母が亡くなりました。

それから1年くらいのあいだ、自分が何を考えて、日々どういうふうに過ごしていたか、正直ぜんぜん思い出せません。でも、あのころ間違いなく、「仕事」は私をなんとか崩れ落ちないように支えてくれていたのだと思います。目の前にとにかくやらなければならないことがある、という状態はとてもありがたくて、私は無心に仕事をこなし、少しずつ日常を取り戻していきました。あれが「何かに救われる」ということだったのかもしれないと、今振り返るとしみじみ思います。

逆に、フリーになる直前の1年間は、いちばん「仕事」に押しつぶされそうだった時期。何をやってもうまくいかないし、どうすればそこから抜け出せるのかもわからない。これからどうやって向き合っていけばいいのか、完全なお手上げ状態が続いていました。

日常生活はめちゃくちゃだったし、体調も崩したし、仕事の成果もまるで出ない。「フリーになる」というひとすじの糸口が突然見えるまでは、辛かった。これまでもいろいろと大変なことはあったけれど、心底「仕事自体が辛い」と思ったのはあのときだけだったかもしれません。思いきって会社を辞めた日の翌朝、なぜかみごとに40℃近い高熱を出して寝込んだんですけど(笑)朦朧としながら、「ああ今回はこの選択でよかったのかも」と感じたのを覚えています。

私にとっての仕事は「楽しい」とか「好き」とか、そんな感情でくくれるものではなくて、ときには現実をつきつけられたり、さりげなく救われたり、押しつぶされたり、何かを与えられたり、逆に心から尽くしたり、あたたかい気持ちになれたり、悔しくて歯ぎしりしたり、そういうあらゆる感情とともに、ずっと自分のそばにあったもの。

作家のよしもとばななさんが、リトルプレス「shukushuku」に寄せた『仕事って』というエッセイがあります。そこでばななさんが示してくれたひとつの答えが、自分のなかにするっと入ってきました。そう、仕事ってそういうものなんだよ、たぶん、と。

切り取って一文だけ引用したくないからここには書きませんが。(回し者じゃないけど、ぜひ買って読んでください)

自分の体験とも重なって、最後の一文を読むと何度だってしあわせな涙を流してしまう。

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フリーになって2年目を迎えたばかりのころ、ある仕事で「ああ、うれしいな」としみじみ感じたことがあって、そのとき自分の中で「あれっ?」と、不思議な感覚を覚えたんですよね。

「今まで、仕事しててこんな感情抱いたことあったかな?」

と。

10年近く、今までやってきたことの一つひとつが磁石のように引き合って新しい「仕事」が生まれ、これまでの経験に、ようやく感謝ができるようになった……そういうことなのかもしれません。だから今は、ものすごく忙しいですけど、しあわせだなとしみじみ思っています。

10年たって、ようやくここまできて。

これから10年たったら、またちがう景色がみえるようになるのかな。

そのとき私は、どんな思いで今の自分を振り返るんだろうか。

さて、ちょっと日常から無理やり自分を引きはがして、いろいろと考えてきた2日間はこれで終わり。

東京に戻って、また明日からわたしの仕事をしよう。

@岩手県陸前高田市 箱根山テラスにて

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